眞田史跡めぐり 上田城篇

眞田ゆかりの地をご紹介していきます。
アニメの作品世界がさらに広がるよう、ちょっとしたウンチクなども交えてお送りできたらいいなーと思っております。
web上の小さな旅に、しばしおつきあいくださいませ。

第一回は、眞田昌幸、信繁(幸村)親子が二度に渡って徳川の大軍を退けた上田城です。

上田は、江戸期には北国街道の宿場として大変賑わった城下町です。
その賑わいのもととなったのが、上田城。
眞田昌幸公が築城した上田城は、仙石忠政氏、松平氏と城主を代え、現在は公園として整備されています。桜が約700本植えられているそうですが、わたしが訪ねた時には盛りが過ぎたばかりの頃でした。残念!
インターネットで『上田城』を検索すると桜の映像や情報がたくさん出てきて、その美しさを知ることができます。でもやっぱり、画面じゃなくて直接この目で見てみたいですよね(笑)

上田城写真1

上田城へは、上田駅から徒歩で向かいます。歩いて15分くらい、二の丸橋を渡ると公園の入り口です。

ここはかつて二の丸に続く東虎口(ひがしこぐち)のあった場所で、『スペシャル版』で眞田軍が徳川軍を撃退した、あの城壁と門のあった場所ですね。
虎口というのは、城や陣営の要所にある出入り口のことです。

現在は門はありませんが、城壁は今でも、両側にえんえんと続いています。
城壁はきっちり積み上げてありますから、これをよじ昇るには集中力必要だと思いますよ。一生懸命昇っているその上から物を投げつけられたり、ましてや火傷するほど熱いものをかけられたりしたら、ひとたまりもないだろうなあ。少なくとも、もう一度昇って、また粥をいただきたいとは思わないでしょう。

城壁の上に鐘楼が見えますが、由来によれば昭和になってからこの場所に移設されたそうです。

城壁の外側、二の丸橋の下はお堀の跡。熱い粥をかけられた後は、5m以上の深さがあったであろう水堀に落下するわけです。今は水はなく整備されて遊歩道になっています。

驚いたことに、ここには昭和3年から47年まで上田温電北東線、つまり電車が通ってたんですって!
遊歩道の左側、コンクリで塀のように固めてある場所がホームだったらしいです。真田町まで通っていたそうですから、その電車に乗れば上田城をスタート地点に眞田史跡巡りができたのですね!

上田城写真2

さてここで上田城について、簡単にご説明しますと……

上田城は、1583(天正11)年に眞田昌幸が築城した平城です。
この長野・上田近辺は戦国時代には紛争が絶えない地域だったので、数多く残る遺構も実用的なものばかりなのだとか。現にこの上田城も、平城でありながら自然の地形を利用した天然の要害だったと言います。
南には千曲川の分流である尼が淵。上田城が別名を尼が淵城という由来ですね。北側と西側は矢出沢川が囲んでいて、空いているのは東側のみ。そこで上田城は東側に大手を取って城下町を作ったのだそうです。二度の徳川の攻撃も、東側から行われたそうですよ。
上田城は全国でも珍しい、実戦経験をもつ城なのです。

この《大手》というのは城の正面や表門のことを言うのですが、対して城の裏門は《搦め手(からめて)》と言います。背後を突く攻撃や弱点を突くことを搦め手というのは、ここから来てるんですね。

ただ築城当初は大手を北側に開くプランだったのに、途中で東に変更されているのだとか。上田城を築く理由のひとつに北の上杉景勝への警戒があったといいますから、昌幸のこの変更にはどんな背景と思惑があったのか、興味をそそられるものがあると思いませんか?

上田城写真3

さて、二の丸東虎口から内側が二の丸です。
入って直進すると本丸東虎口門が見えてきました。門から内側が本丸、つまり城の要になる建物があり、一番守らなければいけない場所になります。

関ヶ原の戦いの後、徳川の命令で上田城は徹底的に壊され、現在残る遺構は真田氏の次に上田藩主となった仙石忠政によって江戸初期に復興されたものです。

東虎口門は平成6年に復元されたもの。門の両側に石壁が続き、左右に見える背の高い建物が見張りをするための櫓(やぐら)。
左側が南櫓、右が北櫓です。
この南・北櫓と、後ほど紹介する西櫓の3つの櫓は仙石忠政が再建した当時のもの。

東虎口門手前の道路に見える部分は橋で、両側に階段のようなものが見えます。《武者立石段》や《武者立ち石》と呼ぶそうで、これも近年復元したのだそうですよ。

橋の下のお堀は、今も水をたたえています。

上田城写真4
上田城写真5

東虎口門の右側、石垣の中でひときわ大きな石が例の《真田石》。

こんな大きな岩をよく持って行こうとしたなあ、それだけ上田城や父・昌幸への思いなど、信之にとっては筆舌尽くしがたい気持ちを表したエピソードだよね……なんて考えていたのですが、田原プロデューサーから、ちょっと違ったお話しを聞きました。

実はこの石垣、建築様式的には仙石氏の時代のものという説が有力だそうですよ。なぬーと思いつつ、考えてみればそういう可能性だってそりゃありますよね。 でも、こんな石ひとつにも(石なんていうサイズではありませんが)眞田には伝説ができちゃうんですね。

Production Note の取材風景『上田城について』もご参照ください。


上田城写真6

さて上を見上げて、こちらは南櫓。
仙石忠政が上田城を再建した時、全部で7棟の櫓を建て、現存するのは南北西の3つ。 そして南北の2つは、明治初期に民間に払い下げられて市内に移築されていたのですが、市民の寄付で買い戻して現在の場所に移築したそうです。

二層二階建て、屋根は入母屋造りの本瓦葺き。表も中も白漆喰塗りなのですが、表側には特徴があって、上部の白いところ以外は板が貼ってあります。腰下見板張りというそうで、雪の多い地方には多い造りなのだとか。

上田城写真7

南北櫓と東虎口門は見学ができます。
※時期によって閉鎖していますので要確認

内部、二階の天井は、こんな感じ。
窓はありますが、守りの櫓がでっかい窓開けていては鉄砲や矢の攻撃を受けてしまいますから、基本的には外からの光は少なくて薄暗いです。

  わたしが訪れた時には、東虎口門の上部で上田藩最後の藩主、松平家伝来品の鎧が展示されていました。

上田城写真8

写真は初代藩主の松平信一が家康から拝領した甲冑。

鳥のミミズクを象っています。ネコミミじゃないですよ!(笑)

上田城写真9

これはまた違う甲冑なのですが、どれも足の内側部分はちゃんと当て布等で補強がされていました。美しい布で工夫を凝らしてあったりして、こんな目立たない場所だからこその美意識を感じます。

上田城写真10

甲冑の、お腹の部分に注目。赤い丸が見えますが、これは鉄砲で実験した跡なんですって。へこんでいますが貫通はしていません。装飾ではない、実戦を考えて作られた鎧というわけです。なんだか生々しい。

上田城写真11

本丸東虎口を入って正面は、真田神社です。

明治に歴代藩主を祭った松平神社が建てられ、その後、小説などで真田氏が有名になり、真田神社に変わったそうです。
真田まつりの時はこの神社から御輿が出発しました。

上田城写真12

真田神社の左側を奥に行くと、真田井戸があります。
後ろに映っているのが真田神社。上の写真で鳥居の奥に映っているのは拝殿、その後ろ側になります。

この井戸には横穴があって、ずっと北の太郎山まで繋がっているという伝説があったそうですが、覗いても残念ながら真っ暗です。

実は調査の結果横穴は見つからなかったそうですけど、昔は本当にあったのかもしれないと思うだけで、真っ暗な井戸の中も楽しいと思いませんか?(笑)先の真田石もそうですけど、素通りしてしまうような色々な物に『眞田』の伝説が作られているということがいちばんすごい。

だって見る物触る物、全部に『眞田が何かをしたであろう』という想像力をかき立てるものが、後世になっても眞田という存在にはあったってことですよね。

上田城写真13

真田井戸のさらに奥、高台に西櫓が建っています。
これだけは創建当時からこの場所に建っているそうです。
左が南の方角になり、断崖の下は尼が淵。

仙石忠政が造ったということは眞田の時代は知らないわけですけど、400年もの間、高台にぽつんと立って街並みの移り変わりを眺めてきたんですね。そんな風に思って、勝手にしんみりと眺めておりました

上田城写真14

本丸は徳川によって破壊されたあとは作られていません。
一本の石碑だけが、かつてここに天下取りの夢を抱いた勇将の城があったことを伝えています。

公園の中は実によく整備されていて、本丸の敷地が高台というのもあるのでしょうが、とても気持ちが良い場所です。
桜は逃してしまいましたが、紅葉の季節もきっときれいだろうと思いました。

本丸跡から臨む景色は眞田の時代とは大変な変わり様のはず。
でも不思議なことに、ベンチに座って遠くを眺めると、時間の流れは今も昔も同じだったろうなあなんて思えてきます。
昌幸や幸村は、自分と同じ場所に立って、同じ場所からいまとは違う景色を見て、何を考えていたでしょうね。
まあありがちな感傷ではありますけど、これが歴史の土地土地を訪ねる醍醐味でもありますから(笑)

上田城写真15

さて。ひとつ謎が残ります。
本丸がない城で、歴代藩主はどこに住んでいたのか?

実は昌幸・幸村がこの地を去った後に上田に入った信之は、上田城の再建はせずに、別に住まいを定めました。
三の丸内にある豪族常田氏の屋形跡地に居館を構えて執政を執り、その後の藩主は代々この場所に住んだそうです

上田城跡公園の手前に上田市役所があるのですが、その南側にあたります。
現在、屋敷跡は上田高校の敷地になっていて、写真の門は正門です。なんとも渋い学校だと思いませんか?

上田城跡の旅は、これにて終了!
次回は真田町の史跡をご案内いたします。お楽しみに〜

(レポート:特派員 羽柴 平)

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